西暦 | 年号 | 主な出来事 | |
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400年 | このころ、大寺山洞穴に、海人の有力者が埋葬される(600年代まで利用) | ||
718年 | 養老2年 | 安房国が成立し、平久里川流域に国府がおかれる | |
1099年 | 康和1年 | 安房国司の源親元が柏崎から船で都へ帰る | |
1180年 | 治承4年 | 9 | 源頼朝が洲崎神社へ参詣し、神田を寄進する |
1286年 | 弘安9年 | 9 | 鎌倉の名工が小網寺の梵鐘をつくる このころ、滝川沿いの萱野に、北条得宗家ゆかりの寺がつくられる |
1456年 | 康正2年 | 里見義実が滝川流域の稲村城を拠点に活動する | |
文明頃 | 大田道灌が江戸城近くの神田に洲崎明神を勧請する。品川・神奈川にも祀られる | ||
1486年 | 文明18年 | 京都から道興准后が那古寺を訪れる | |
1564年 | 永禄7年 | 北条水軍の船が新井の島(高の島)に船を乗り付けて、館山平野を攻撃する | |
1584年 | 天正12年 | 4 | 商人の岩崎与次右衛門が、里見義頼から沼に屋敷を与えられて、高の島湊で流通活動を始める |
1591年 | 天正19年 | 里見義康が館山城に移転してくる | |
1592年 | 天正20年 | 8 | 鶴谷八幡宮の祭礼で、船形の湊から祭礼用の船などが運ばれる |
1601年 | 慶長6年 | 4 | 里見義康が館山城下に市を立てて、本格的に城下町建設をはじめ、商人の船は新井浦へ入船することを義務づける |
1606年 | 慶長11年 | 7 | 長須賀・北条にも商人が住み、城下町が拡大する |
1614年 | 慶長19年 | 9 | 里見忠義、館山藩を改易される |
1615年 | 元和1年 | 4 | 新井・楠見の船乗り30人が、大坂夏の陣に使役される |
1638年 | 寛永15年 | 2 | 屋代氏が北条の陣屋で1万石の支配をはじめる |
1697年 | 元禄10年 | 5 | 紀州栖原村の鯛網漁師芦内佐平次らが、船越鉈切神社へ鰐口を奉納する |
1703年 | 元禄16年 | 11 | 大地震がおこり、那古から館山にかけて200m~400m幅の干潟ができる 柏崎から高の島へ向けて造られていた土手が崩れ、隆起によって高の島南に浅瀬ができる ◎地震前は土手際に大船を掛けていたという |
1721年 | 享保6年 | 1 | 浦賀に番所が設置され、江戸への渡海船が検査を受けるようになるが、鮮魚輸送の押送船は例外とされる このころ、館山上町に仙台藩の廻米改め役所がおかれ、柏崎の南部屋が盛岡藩の船宿として廻船の世話をする |
1725年 | 享保10年 | 10 | 水野氏が北条藩主になる |
1781年 | 天明1年 | 9 | 稲葉氏が館山藩主になり、のち館山陣屋を設置する |
1793年 | 寛政5年 | このころの高の島湊は、浜から400m~1kmの場所に諸国の廻船が停泊し、地元の渡海船は40mほど沖に停泊し、主に西の浜から艀船がでた | |
1801年 | 享和1年 | 7 | 伊能忠敬が鏡が浦の海岸を測量する |
1810年 | 文化7年 | 2 | 奥州白河藩が波左間に海防の陣屋を設置し、洲崎に砲台を築く |
1828年 | 文政11年 | 11 | 柏崎と館山の人々によって、高の島までの船掛り土手(長362m)の再建が計画される |
1832年 | 天保3年 | 12 | 高の島湊再建工事がはじまるが、中途で挫折したようである |
1841年 | 天保12年 | 館山楠見浦の有田屋が廻船業に乗り出し、越後新発田藩との取引をはじめる | |
1847年 | 弘化4年 | 8 | 武蔵忍藩が海防の陣屋を北条鶴ヶ谷に築き、湊川(平久里川)河口にはじめて湊橋を架ける |
1855年 | 安政2年 | 船形村の磯崎に堤防(長55m)を建設 | |
1864年 | 元治1年 | 10 | 若年寄の平岡氏が船形藩主になり、陣屋を築きはじめる |
1868年 | 明治1年 | 8 | 旧幕府海軍の榎本武揚が館山湾で兵力を整え、軍艦八隻で函館に向かう |
1873年 | 明治6年 | 船形の堤防(長85m)を再建 | |
1878年 | 明治11年 | 館山の辰野安五郎が安全社をおこし、東京(霊巖島)と館山間に汽船を就航させる ◎のち船形・那古・北条・館山に汽船の発着の桟橋が設置される | |
1881年 | 明治14年 | 第一回安房共立汽船会社が設立され、安全社との競争をはじめる | |
1888年 | 明治21年 | 大倉喜八郎・渋沢栄一など財界人が株主になり、豊津村に日本水産会社を設立 | |
1889年 | 明治22年 | 11 | 東京湾汽船会社(現東海汽船株式会社)が館山航路に進出 ◎魚荷が多く、創業当初のドル箱航路だった |
1897年 | 明治30年 | 4 | 安房四郡が安房郡となり、北条に安房郡役所がおかれる |
7 | 館山税関監視署が西の浜にできる | ||
1898年 | 明治31年 | 房総遠洋漁業株式会社が館山町に設立される 第一高等学校(東京大学)水泳部が八幡海岸で水練をはじめる ◎以後、海水浴が盛んになる |
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1899年 | 明治32年 | 6 | 皇太子が観閲して、海軍が常備艦隊の演習をおこなう |
1901年 | 明治34年 | 7 | 館山湾に四五百頭のクジラが回遊し、捕獲される |
1907年 | 明治40年 | 東京湾汽船で急行便の夏季航路を開始 | |
1909年 | 明治42年 | 3 | 高の島に農商務省水産講習所館山実習所高の島実験場を開設 |
12 | 柏崎青年団が水難救済会を創立 | ||
1917年 | 大正6年 | 4 | 北下台に正木灯が灯る(昭和26年年廃止) |
1918年 | 大正7年 | 8 | 那古船形駅が開業 |
館山湾桟橋会社創立 | |||
1919年 | 大正8年 | 5 | 安房北条駅(館山駅)までの鉄道が開通 |
12 | 洲崎灯台が点火 | ||
1920年 | 大正9年 | 12 | 館山湾内の網主等が高の島に魚付林を植樹 |
1922年 | 大正11年 | 4 | 県立安房水産学校(安房水産高校)が開校 |
1923年 | 大正12年 | 1 | 館山桟橋の拡幅工事(長226m、幅5.5m)完了 |
館山湾桟橋会社が館山町から桟橋の使用権を得る | |||
9 | 関東大震災で隆起がおこり、桟橋が破損、復旧まで艀舟を利用 | ||
1925年 | 大正14年 | 8 | 船形漁港を改修 |
1926年 | 大正15年 | 東京湾要塞地帯の指定地域になる | |
11 | 旧桟橋の南側に館山桟橋が復旧(長270m、幅5.5m) | ||
1930年 | 昭和5年 | 6 | 宮城沖の干潟に館山海軍航空隊が開設、軍専用港を施設する(東防波堤) |
1932年 | 昭和7年 | 10 | 大房岬と西岬地区に東京湾要塞の砲台が構築される |
1934年 | 昭和9年 | 12 | 東京に竹芝桟橋完成(発着所が霊巖島から竹芝へ) |
1935年 | 昭和10年 | 6 | 大型客船の新造橘丸が、東京・館山間に就航 |
1943年 | 昭和18年 | 6 | 洲ノ崎海軍航空隊が笠名・大賀に開隊する |
1945年 | 昭和20年 | 5 | 那古地区川崎に空襲があり、27人が犠牲になる |
8 | 館山港からアメリカ軍が上陸 | ||
1948年 | 昭和23年 | 7 | 館山港を地方港湾に指定 |
1949年 | 昭和24年 | 6 | 東海汽船が戦争で中断していた館山航路を復活 高の島と沖ノ島が風致公園に指定される |
1950年 | 昭和25年 | 船形港を五か年計画で修築開始 | |
1951年 | 昭和26年 | 7 | 船形港を第3種漁港に指定 |
1952年 | 昭和27年 | 館山港を五か年計画で修築開始(北防波堤新設等) | |
1953年 | 昭和28年 | 9 | 海上警備隊(海上自衛隊)館山航空隊が設立される |
1958年 | 昭和33年 | 8 | 南房総国定公園に指定される |
1961年 | 昭和36年 | 5 | 館山港から船形港間の海岸道路が完成 |
1963年 | 昭和38年 | 10 | 東京湾高速船株式会社、水中翼船バカンス号・ファミリー号を東京・館山間に就航させる |
1967年 | 昭和42年 | 8 | 館山船形漁協が合併により成立 |
12 | 東京湾高速船株式会社、採算がとれずに解散 | ||
1971年 | 昭和46年 | 東海汽船が夏季館山航路打切り | |
1973年 | 昭和48年 | 9 | 若潮国体ヨット競技の会場になる |
1993年 | 平成5年 | 4 | 館山市がビーチ利用促進モデル地区に指定される |
1999年 | 平成11年 | 3 | 館山駅新駅舎開業、西口ができる |
2000年 | 平成12年 | 5 | 館山港が特定地域振興重要港湾に選定される |