里見氏は鏡ヶ浦周辺で、船形と北条にも城をもっていました。船形城は船形之津をもち、北条城は平久里川河口の「淡水門」を湊につかえる立地でした。
江戸時代になって、里見氏の滅亡後に来た大名たちは、里見氏の城の近くに領地支配の陣屋を設けています。寛永15年(1638)に屋代氏が北条藩1万石の陣屋を設けたのは北条城の跡でした。天明元年(1781)に館山藩をおこした稲葉氏は、館山城の南麓に陣屋をつくりました。幕末の元治元年(1864)に平岡氏が安房で大名になったときに陣屋を置いたのは、街道にも面した船形城の近くでした。陸上と海上の交通の要衝が、江戸時代になってもそのまま利用されたのです。北条の陣屋は明治になって安房郡役所に引き継がれました。
108.船形陣屋普請関係文書 慶応2年(1866)
個人蔵