国分・滝川

館野は奈良時代に国司の館があった野原という意味。古代から続く歴史をのせた砂丘上の国分から滝川周辺をあるいてみましょう。

国分寺エリア

(1) 国分寺

(1) 国分寺

国分寺 文化財マップ

 真言宗の寺院。奈良時代に聖武天皇が全国においた国分寺のひとつ。安房の国分寺は全国より少し遅れて創られたようだが、発掘調査で金堂の跡(棒杭が立っているところ)が確認されている(県指定史跡)。境内にはその当時の礎石や南北朝時代の立派な五輪塔があるほか、嘉永3年(1850)に建てられた孝子家主(やかぬし)の記念碑、江戸時代の北条藩領万石騒動の犠牲となった三義民の供養塔(市指定史跡)、明治時代の教育家細川潤次郎撰文で明治43年(1910)の二百回忌に建てた安房郡三名主碑、万石騒動二五〇年忌供養塔、三義民のひとり国分村名主飯田長次郎の墓がある。そのほかにも文化6年(1809)・文政10年(1827)の出羽三山碑、寛政3年(1791)の廻国供養塔、明治33年(1900)に27才で没した国分の教員相川直治君之碑などがある。堂内には寛政2年(1790)の孝子伴直家主図の絵馬もある。

(2) 諏訪神社

(2) 諏訪神社

 国分地区の鎮守。八幡・天満・八坂・妙見を合祀している。境内には館野村の日露戦争記念碑がある。

(3) 橋本地蔵尊

(3) 橋本地蔵尊

 外房と内房を結ぶ街道の辻にあたるところで、滝川用水堀を渡る橋のたもとの地蔵尊。寛政10年(1798)に日本廻国行者が建てた道標があり、「東 きよすみ・南 こくぶんじ/南 一の宮・西 やわた」とある。ほかにも明治24年(1891)の孝子塚への案内標、大正14年(1925)に国分青年団が建てた三義民刑場跡への案内標がある。

萱野エリア

(4) 三義民刑場跡

(4) 三義民刑場跡

 正徳元年(1711)に、北条藩屋代氏の一万石の領地内で「万石騒動」とよばれる一揆がおきた。首謀者とみなされた湊村・薗村・国分村の3人の名主は、国分村のはずれにあった萱野のこの地で処刑されてしまう。大正14年(1925)に三義民殉難之跡という石碑が建てられた。北条にいた伯爵万里小路通房の揮毫(市指定史跡)。

(5) 稲荷神社・長尾藩武家屋敷跡

 国分の萱野という地域は、明治元年から4年(1871)まで館山周辺を支配した大名、長尾藩本多氏の家臣たちの屋敷地として開発されたところ。当時の屋敷の区画がそのまま残っている。その一画に本多氏の氏神である稲荷神社が祀られていて、明治9年の手洗石は旧藩士たちが奉納している。藩役所など主要施設のあった陣屋は北条の鶴ケ谷にあった。

(6) 孝子塚

(6) 孝子塚

 平安時代の初め、承和元年(836)に、安房郡の伴直家主(とものあたい やかぬし)という人が、朝廷から親孝行を表彰されたことがある。江戸時代になって石工の武田石翁が、その墓を見つけだし記念碑を建てて顕彰したのがこの場所。嘉永3年(1850)のことだった。大正3年(1914)に千葉県名勝旧蹟保存既定によって修復されて、現在の整備された姿になった(市指定史跡)。

滝川エリア

(7) 滝川のビャクシン

(7) 滝川のビャクシン

 木幡神社の御神木で、樹齢800年(市指定天然記念物)。木幡神社の旧社地にあたる。高さは10mくらいだが、目の高さの幹周りは4m以上ある。

(8) 三善寺

 浄土宗の寺院。本堂前に中世の五輪塔の一部分の石がある。鎌倉時代の木造如来座像と南北朝時代の銅造観音・勢至菩薩立像も伝えられているが、ともに今は市立博物館で保管している。

(9) 滝川用水

(9) 滝川用水

 万石騒動の原因をつくった北条藩の用人川井藤左衛門が、藩の財政再建のために米の増産をめざして、滝川の箱橋のところから用水堀をつくり、国分の西側の水田域を潅漑した。途中に滝川への水落としのためのハヤブテや、水を分配するための国分の新井堰(今は水がなく堰跡になっている)がある。ハヤブテが国道と交差するところには、かつて石橋が架かっていたようで、道の端に文政5年(1822)の石橋供養塔がある。

(10) 石切山

 江戸時代から明治の初めまで、近在の屋敷や物置の基礎石がこの山から切り出されていた。滝川石と呼ばれ、滝川地区には石屋が2軒あったという。昭和22年(1947)に第四中学校(当時は館野中)の校舎をつくったときに切り出したのが最後になった。

(11) 木幡神社

(11) 木幡神社

 滝川地区の鎮守で、9月の八幡のマチに神輿が出祭することで知られている。大化の改新以前に役人として派遣されてきた阿波国造(あわのくにのみやつこ=地方官)の大伴氏がこの辺に館を構えたとき、氏神を祀ったのがこの神社の起こりだとされている。

(12) 立石・天王様

(12) 立石・天王様

 立石(たていし)は、鎌倉時代の伝説的な武将で、朝夷郡に育った朝比奈三郎義秀が投げたものだという伝承がある。天王様は旧滝川村の名主家の守り神だったそうだ。牛頭天王のほか金刀比羅・子大権現も祀られている。今は木幡神社の氏子もお参りしている。

(13) 地蔵堂

(13) 地蔵堂

 本尊の木造地蔵菩薩像は文明13年(1481)に作られたもので、半跏思惟(はんかしい)という珍しい姿をしている。御詠歌の額は千倉の彫刻師後藤義光の弟子で、国分在住の後藤義信の作。境内には江戸時代に建てられた鉄丸石の大きな出羽三山碑と、慶応2年(1867)の三山碑がある。墓地には旧滝川村の名主角田太郎兵衛の記念碑があり、これは明治17年(1884)に建てられている。


監修 館山市立博物館