九重は、中世の文化財の宝庫。横穴古墳やヤグラなどを中心に、豪族たちの活動跡をたどりながら歩いてみましょう。
安東エリア
(1) 高田寺
里見家の高田姫が開祖といわれ、近くの山の中に高田姫の墓と伝えられる五輪塔がある。五輪塔とは、上から空輪・風輪・火輪・水輪・地輪の5つの部分からなる、中世特有の供養塔。また高田姫の双児をまつったという二子塚のある山が、西側の二子区にあって、ここの地名の由来にも関係している。
(2) 六地蔵
江戸時代の寛保3年(1743)の銘が入った六地蔵や、明治から昭和にかけての馬頭観音など、石造物がいくつかある。
(3) 熊野神社
境内には、天保2年(1831)の銘が入った手水石や、大正大震災の記念碑などがある。狛犬は明治14年(1881)奉納で、彫刻は長須賀の石勝。また社殿の裏山には、複数の横穴がある。
(4) 薬師堂
本尊は、室町時代作の木造薬師如来坐像。境内の墓地には、出羽三山の碑や、大正8年(1919)に台湾で殉職した、台湾台東巡査小倉嘉一の墓などがある。
水岡エリアA(旧清水村)
(5) 内田ヤグラと横穴
ヤグラとは、鎌倉時代の武士の墓。横穴やヤグラが多い九重地区では、個人の宅地内にも見られることがある。鶴谷さんの家の裏山には5基の横穴がある。そのうち1基はヤグラとして利用されたらしく、奥の壁面に五輪塔の浮き彫りがある。
(6) 数学師・高見桂蔵記念碑
高見桂蔵は、享和2年(1802)に清水村で生まれた。同郷の算学者清水豊明から数学を学んだあと、豊明について江戸に行き、関流の免許を手に入れた。郷里に帰って多くの子弟を育て、鶴ヶ谷八幡宮や鴨川の大山不動などに算額を奉納したといわれる。明治13年(1880)83才で没。量科亭貞明という号が記された墓が、蓮蔵寺の墓地にある。この記念碑は昭和11年(1936)に建てられた。
(7) 蓮蔵寺
曹洞宗の寺院で、本尊は南北朝時代作の木造釈迦如来坐像。境内には宝篋印塔の断石も見られる。宝篋印塔は、五輪塔とならんで中世を代表する供養塔で、基礎・塔身・笠・相輪の各部からなるもの。本堂の向拝欄間には、国分の安西 吾楼による龍の彫刻がある。また入口の坂道脇には、(6)の高見桂蔵記念碑や、明和元年(1764)の石造地蔵菩薩像、鋸山の住職によって別伝和尚の伝記が記された寛政3年(1791)の法華千部塔、明治5年(1872)の石造千手観音像、明治25年(1892)の馬牛塚などがある。
(8) 天満神社
天保10年(1839)の手水石、翌11年の狛犬がある。狛犬は長須賀の鈴木伊三郎作。この他、境内横に大正時代の出羽三山碑や伊勢参宮碑などがある。
(9) 内田横穴群
蓮蔵寺背後の山には、ヤグラ1基を含む10数基の横穴がある。穴の中に五輪塔や宝篋印塔の断石も見られる。ヤグラには、古墳時代の横穴を改造したものがよくあるが、ここのは天井の形などからみて、明らかに当初からヤグラとして作られたもの。
(10) 尾根沿いの旧道
トンネル手前から左にそれると、紫雲寺方向に抜ける尾根沿いの旧道に出る(現在は山道)。旧道に入ってすぐの道の両脇に江戸時代末の出羽三山碑(安永6年・文政3年・天保7年の3基)など、石造物がいくつか見られる。
水岡エリアB(旧北片岡村)
(11) 紫雲寺
曹洞宗の寺院。本堂裏手の壁面にヤグラがあり、五輪塔や宝篋印塔の断石が散在している。西側の墓地にも宝篋印塔の笠などの断石が見られる。東側の墓地には、正徳元年(1711)に起きた万石騒動に参画して追放処分になった、北片岡村名主庄右衛門の墓がある。
(12) 水岡ヤグラ
壁面に17基もの五輪塔が浮き彫りにされた規模の大きなヤグラ1基(館山市指定文化財)と、周辺にもいくつか横穴がある。ヤグラは武家の中心地だった鎌倉によく見られるもの。ここの文化が、対岸の安房にも強い影響を与えていたと考えられる。
(13) 千手院(安東)
本堂は尾根の先端にほられたヤグラ。内部に本尊の石造千手観音坐像と、文和2年(1353)銘の石造地蔵菩薩坐像、中世の日待供養塔、五輪塔の断石などがある。このヤグラのちょうど真上に、南北朝時代と思われる宝篋印塔が完全な形で立っている。境内にも、五輪塔を浮き彫りにしたヤグラがもう1基ある。本堂の手前に、江戸時代の天保4年(1833)銘の手水石があるが、大乗妙典廻国と書かれ、巡礼記念に奉納したものらしい。石造地蔵菩薩座像と宝篋印塔は、館山市指定文化財。
監修 館山市立博物館