西長田(にしながた)

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 長田川の西側にある集落で、東長田とともに南北朝時代には長田保と呼ばれていました。長田保西方は鎌倉円覚寺の所領であったことが、応安2年の古文書からわかりますが、たびたび安西氏や丸氏などの在地領主の押領をうけていたようです。字上ノ台の丘陵には、里見義実の居城と伝える千田城跡があります。江戸時代初期の里見氏治政下では、東長田と同様。明治元年の村高は275石余でした。神社は千田城跡内にある諏訪神社、寺院は朱印地2石を充行われた観音院があります。江戸時代には黄檗宗の般若寺(今は廃寺)もありました。