山荻(やまおぎ)

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 江戸時代には永代村と山荻村に分かれていましたが、明治10年に合併して今の山荻になりました。山荻神社の周辺には、宮原貝塚をはじめとする縄文・古墳時代の遺跡が多くみられ、古い集落であることがわかります。江戸時代初期の里見氏治政下では、山荻村は里見家一門の薦野神五郎が知行し村高は347石余。永代村は里見家一門之頭の正木大膳の知行で村高46石余。明治元年にはそれぞれ260石余、53石余。神社は山荻神社、寺院は山荻の福楽寺と、1石3斗余の除地のあった永代の宝幢院があり、福楽寺には享保3年に武田石翁が製作した立派な宝塔がそびえています。