豊房地区略年表

西暦 年号 事項
B.C.6000年 出野尾洞穴に人が生活をはじめる
7世紀頃 東長田・出野尾などで古代祭祀が行われる
12世紀頃 小網寺に経塚がつくられる
1156年 保元1年 金鞠氏、京都の保元の乱で源義朝に従い崇徳上皇を攻める
1238年 暦仁2年 金摩利太郎、将軍頼経に供奉し京都六波羅御所へ行列する
1286年 弘安9年 小網寺の梵鐘がつくられる
1365年 貞治4年 足利尊氏、長田保西方を鎌倉円覚寺へ寄進する
1369年 応安2年 安西太郎左衛門入道、長田保西方を押領する。関東管領上杉朝房、安房国守護結城直光に対し、同地を鎌倉円覚寺仏日庵へ返還させるように命じる
1405年 応永12年 丸孫太郎入道、円覚寺仏日庵領長田保西方を押領する
1560年 永禄3年 金鞠氏、長尾景虎(上杉謙信)の関東管領就任を祝して太刀を贈る
1574年 天正2年 千歳郷畠村の牛頭天王宮に鰐口が寄進される
1589年 天正17年 里見義康、家臣石井駿河守に神余郷で所領を加増する
1597年 慶長2年 畑村・東長田村などで太閤検地が行われる
里見義康、飯沼村を府中の宝珠院に寺領として寄進する
1606年 慶長11年 里見忠義、畑村で検地を行う
里見忠義、岡田村を紀伊国高野山西門院へ寺領として寄進する
1613年 慶長18年 里見忠義、神余村智恩寺を再興する
1614年 慶長19年 館山城落城の時、出野尾で13人の家臣が自刃すと伝える
1674年 延宝2年

山荻村出身の石井三朶花、水戸藩へ出仕。徳川光圀のもとで『大日本史』の編纂にあたる

1803年 享和3年 飯沼村字峰で白土の採掘がはじまる
元名村の石工武田石翁、山荻村福楽寺の宝塔を製作する
1855年 安政2年 神余村の和貝定文、私塾を開き子弟を教育する
1875年 明治8年 南条村より大戸村・作名村が分村する
1877年 明治10年 山萩村と永代村が合併して山萩村となる
1880年 明治13年 畑の石井喜右衛門・山川吉五郎等、市郷の山奥より水を引き、越地原の灌漑用水路を竣工させる
1889年 明治22年 東長田・西長田・出野尾・岡田・大戸・南条・飯沼・古茂口・山荻・作名・畑・神余の各村、合併して豊房村となる
1907年 明治40年 山荻・大戸の尋常小学校を合併し、豊房尋常小学校とする
1954年 昭和29年 豊房村、館山市と合併する