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長尾川の上流域に位置する山間村落で、平家の落人伝説が残っています。新吾・万吾・平作・野荘の四人が畑の村を開いたといい、今も畑には山川・加藤・早川・石井の四姓しかありません。天正2年の鰐口銘に千歳郷畠村とあり、江戸時代初期の里見氏治政下では里見氏の直接支配地で、村高は147石余。明治元年は150石余。神社は長尾神社・八雲神社・牛頭天王を合祀した長尾三神社で、長尾神社には4斗余の除地がありました。寺院は瑞龍院。明治13年、石井喜右衛門等の努力によって引かれた灌漑用水路は畑の耕地を豊かにし、今も恵みをもたらしています。