飯沼(いいぬま)

女堰(オンナゼキ) 堂ノ下(ドウノシタ) 内田(ウチダ) 水口(ミズグチ) 峯(ミネ) 芝(シバ)

 江戸時代末期でも戸数わずか12戸という小さな集落で、慶長2年に里見義康が府中の宝珠院に寄進して以来、江戸時代を通してその寺領でした。村高は39石余。神社は熊野神社、寺院はなく、青年館がかつての大日堂でした。山荻との境にある汐入川の女堰は、江戸時代から上・下真倉と南条の灌漑用水として重要なものでした。明治・大正期には白土の採掘が盛んで、字峯の白土坑は享和3年に開かれています。