神余小学校の北側にある山を城山といい、平安時代の保元物語や鎌倉時代の吾妻鏡に登場する神余氏の居城跡と考えられています。頂上は高さ1mほどの土塁に囲まれ、明治40年頃まではその内部にさらに高さ2m、方8mの土塁があったといいます。山麓には城之腰というところもあります。神余氏は15世紀中頃の嘉吉年間に家臣山下定兼に滅ぼされたといい、巴川の対岸には山下城の跡というところがあります。
◇交通 JRバス神余小学校前下車徒歩1分
神余小学校の北側にある山を城山といい、平安時代の保元物語や鎌倉時代の吾妻鏡に登場する神余氏の居城跡と考えられています。頂上は高さ1mほどの土塁に囲まれ、明治40年頃まではその内部にさらに高さ2m、方8mの土塁があったといいます。山麓には城之腰というところもあります。神余氏は15世紀中頃の嘉吉年間に家臣山下定兼に滅ぼされたといい、巴川の対岸には山下城の跡というところがあります。
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