八幡神社から西へのびる尾根を城山といい、里見氏の家臣烏山弾正が居城としたと伝えられており、烏山城ともいいます。標高50m、本丸から東へ続く尾根に大きな堀切が設けられています。城主烏山時貞の娘が里見家五代義豊の妻となったため、天文3年に義豊が稲村城で滅ぼされたとき、妻はこの城にのがれ、城の北方で自害したといいます。その場所に直径1m、高さ80cmほどの石積があり、姫塚とよんでいます。
◇交通 JRバス豊房下車徒歩10分
八幡神社から西へのびる尾根を城山といい、里見氏の家臣烏山弾正が居城としたと伝えられており、烏山城ともいいます。標高50m、本丸から東へ続く尾根に大きな堀切が設けられています。城主烏山時貞の娘が里見家五代義豊の妻となったため、天文3年に義豊が稲村城で滅ぼされたとき、妻はこの城にのがれ、城の北方で自害したといいます。その場所に直径1m、高さ80cmほどの石積があり、姫塚とよんでいます。
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