富崎・神戸地区

 シリーズ3回目として神戸と富崎の二地区を取り上げました。両地区とも安房開拓にまつわる神話の伝えられる地域で、神戸の名は、古代当地域が神戸郷と称され、安房神社に属する神戸という民家(封戸)があったことに由来します。また富崎の名も、当地域にある布良崎神社の祭神が天富命で、岬に位置する地域であることに由来し、ともに明治22年の両村成立のときの命名です。

 神戸は農業、富崎は漁業を生業とし、両地区あわせて市全域の18.4%にあたる20.19k㎡(神戸19.39、富崎0.80)の面積に人口が5209人(神戸3309、富崎1900)で市全体の9.2%の人が生活しています。

 安房神社周辺には縄文・弥生の遺跡が多く、早くから開発された地域であることがわかりますが、両地区一帯は平安時代には安房国安房郡神戸郷と称し、安房神社を中心とする文化圏になっていました。戦国時代から江戸時代の初めまでは里見氏が支配し、その後幕府や旗本などの領地となります。江戸時代は大神宮・中里・松岡・南竜・北竜・犬石・佐野・藤原・洲宮・茂名・布沼・布良・相浜の13ヵ村があり、明治7年に松岡・南竜・北竜の各村が合併して竜岡村となりました。明治22年に各村合併の結果、神戸村・富崎村が成立し、館山市と合併するのは昭和29年のことです。

戸数のうつりかわり

旧町村名 天保 明治24年 世帯数
昭和35年 昭和62年
大神宮 105 117 158 187
中里 29 31 33 44
竜岡 松岡 23 50 47 53
南竜 15
北竜 11
犬石 68 78 98 184
佐野 51 56 92 134
藤原 35 50 89 119
洲宮 29 40 61 140
茂名 31 32 33 37
布沼 44 48 50 61
布良 231 345 338 338
相浜 126 200 282 264
合計 789 1,047 1,281 1,561