西暦 年号 | 事項 |
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B.C.20000年 | 布良の海食洞ができる |
5~6世紀頃 | 安房神社・洲宮神社の境内が祭祀場として使用される |
7世紀頃 | 大神宮大塚山に横穴古墳群がつくられる |
806年 大同1年 | 安房神社が朝廷より封戸10戸を加えられ、総計104戸の封戸を有する |
836年 承和3年 | 安房神社の祭神(安房大神)が無位から従五位下に列せられる |
859年 貞観1年 | 同正三位に列せられる。また后神である洲宮神社の祭神(天比理乃咩命)も正三位に列せられる |
10世紀 | 大神宮千祥寺の木造如来坐像が造像される |
1229年 寛喜1年 | 鎌倉幕府、評定衆三浦義村を奉幣使として安房神社へ遣す |
1273年 文永10年 | この年洲宮神社が炎上する |
1580年 天正8年 | 里見義頼、家臣真田与十郎に布沼村の田地を所領として充行う |
1597年 慶長2年 | 茂名・犬石などの村々で太閣検地が行われる 里見忠義、家臣岡本源介に犬石村・南龍村に所領を充行う |
1613年 慶長18年 | 里見忠義、安房神社の修造を行う |
1616年 元和2年 | 江戸幕府、安房神社へ36石余、洲宮神社へ7石の社領を寄進する |
1654年 貞応3年 | 大神宮・犬石・相浜各村の間で巴川舟入争論がおこる |
1682年 天和2年 | 大神宮村で領主河野三左衛門に対する一揆がおこり、農民の代表者7名が死罪になる |
1703年 元禄16年 | 大地震で海岸が隆起し、大津波のため布良・相浜村で多くの犠牲者が出る |
1713年 正徳3年 | 洲宮・茂名・布沼村の間で浜争論がおこる |
1723年 享保8年 | 里見義澄、洲宮神社に扁額を奉納する |
1871年 明治4年 | 松岡村と洲宮村が館山県に編入され、大神宮・中里・南竜・北竜・犬石・佐野・藤原・茂名・布沼・布良・相浜の諸村が長尾県に編入される。12月に13ヶ村が木更津県に編入される |
1874年 明治7年 | 松岡村・南竜村・北竜村・合併して竜岡村となる |
1889年 明治22年 | 大神宮村他8ヵ村が合併して神戸村となる 布良村・相浜村、合併して富崎村となる |
1904年 明治37年 | 画家青木繁が布良に来遊し、「海の幸」を描く |
1923年 大正12年 | 大震災で大津波などの被害をうける |
1941年 昭和16年 | 神戸村佐野に館山海軍砲術学校が設置される |
1949年 昭和24年 | 平砂浦砂防工事始まる(昭和33年完成) |
1954年 昭和29年 | 神戸村・富崎村、館山市と合併する |