船形(ふなかた)

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 船形の地名は、背後の堂山が船を伏せたかたちに似ていることに由来するとされます。むかしから人々は漁業を生業として、崖の観音に安全を祈願してくらして来ました。江戸に幕府が開かれ、人口が急増すると「おしょくり(押送)船」と呼ばれる江戸通船を使った、干鰯(ほしか)を中心とする魚や薪を送る廻船業が盛んになり、寛政5年(1794)の「船形村明細帳」で3艘の押送船の数が、文化5年(1808)の「明細帳」では33艘となり、自給自足の漁村から、廻船の基地へと大きく発展しました。宝永年間頃には当村の名主で廻船業者でもあった正木久右衛門がどんどん川を改修して、新田をひらき、さらに享保年間ごろ、福沢川より船形用水をひいて、村の発展の基礎を築きました。また、幕末の元治元年(1864)には、平岡丹波守道弘が安房国に一万石の領地を与えられて、根岸字御霊に陣屋を構えましたが、明治元年に領地を奉還し廃藩となっています。明治維新のあと明治政府の殖産興業政策により、廻船業を中心として村はますます発展しました。

明治14年には、正木貞蔵により、安房共立汽船会社が設立され、明治26年には、全長85mの船形港突堤が造られるなど、近代化が進みました。

船形村明細帳(小宮達雄氏蔵)
勝山調筆「おしょくり船」(稲垣祥三氏蔵)