小原(こばら) 

弁天前(ベンテンマエ) 下ノ原(シモノハラ) 菅ノ入(スガノイリ) 鶴作(ツルサク) 北ノ谷(キタノヤツ) 大苗代(オオナワシロ) 宮ノ前(ミヤノマエ) 立石(タテイシ) 桜田(サクラダ) 梅田(ウメダ) 引通(ヒキドオシ)

 地形的には、富浦側に流れる福沢川流域にある村落で、横穴古墳の散在する歴史のふるい地域です。人々は農業を主に生業とし、谷あいの水利を上手に生かしてくらしてきました。また、船形の江戸との廻船業の発達につれて、江戸に送る木炭は、この村からも供給されたと思われます。幕末は、勝山藩の領地となりましたが、明治元年に長尾藩の領地となり、明治22年の凪原村への合併の基礎となりました。

那古寺多宝塔に勧進した銘をのこす小原村名主甚左衛門(高瀬家文書)