那古(なご)

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 那古山の南側、板東三十三番巡礼札所補陀落山那古寺の門前として、江戸時代まで、寺と盛衰を共にしてきました。那古寺は、養老年間行基開基という真言宗の古刹で、本尊は千手観音像です。戦国期には里見氏の帰依を受けて、寺運は隆盛しました。 江戸期になると同寺を補陀落浄土とみなす信仰が盛んとなり、参詣する信者でにぎわい、西之坊・恵日坊などの宿坊をかねた塔頭、わき寺がいくつか出来ました。 元禄16年(1703)の大地震で那古寺の堂宇は、倒壊しましたが、観音堂は宝暦9年(1759)に、多宝塔は同11年に那古の商人伊勢屋甚右衛門の安房国全域におよぶ万人講勧進によって再建されました。里見の倉吉移封の後も寺領はそのまま安堵され、江戸時代を通じて、寺運は安定していましたが、明治維新により、寺領は没収されることとなり、以前のような寺運の隆盛はみることがなくなり、門前のにぎわいは、明治22年に設立された東京湾汽船会社の発着場となった那古桟橋の周辺に、一時移りました。

那古寺全景と町並
那古寺観音堂