西暦 年号 | 事 項 |
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B.C.6000年 | -縄文早期-稲原に集落ができる〔稲原貝塚〕 |
7世紀頃 | 稲原・那古小学校裏・正木岡上御狩・正木岡山岸に横穴古墳群がつくられる |
13世紀前半 | 千葉胤時、那古寺銅造千手観音立像を造像する |
1324年 元亨4年 | 高橋景綱・平重行、那古寺木造阿弥陀如来坐像を修理する |
1348年 貞和4年 | 室町将軍足利利義詮、建長寺の僧竺仙和尚に正木の田地を寄進する |
1486年 文明18年 | 関白藤原房嗣の三男道興准后、川名及び那古寺へ来遊する |
1494年 明応3年 | 正木時綱、相州三浦を逃れ、里見氏をたよって正木に住す |
1514年 永正11年 | 里見義通、那古寺梵鐘を再鋳する |
1557年 弘治3年 | 正木時茂、那古寺梵鐘を再鋳する |
1591年 天正19年 | 里見義康、正木西光寺及び寺領を持仏堂(慈恩院)へ寄進する |
1606年 慶長11年 | 里見忠義、那古村・八幡村のうち256石を那古寺へ寄進する |
1616年 元和2年 | 江戸幕府、那古字に109石、正木諏訪神社に3石を寄進する |
1685年 貞享2年 | 平郡の地頭石川六左ヱ門重興大福寺を修理し、槍を寄進する |
1703年 元禄16年 | 大地震で海岸が隆起する。このとき那古寺の堂塔が倒壊する |
1705年 宝永2年 | 船形村名主正木九右ヱ門、どんどん川を改修して古川新田・川名新町・那古浜新田を開く |
享保中 | 福沢川より分水して船形用水が開かれる |
1757年 宝暦7年 | 那古寺本堂再建、続いて宝暦9年に観音堂再建、宝暦11年に多宝塔建立される |
文政頃 | 十返舎一九、那古へ来遊する |
1864年 元治1年 | 若年寄平岡道弘、船形藩1万石を領し船形御霊に陣屋を構える (明治元年領地を奉還して廃藩) |
1873年 明治6年 | 那古・船形・川名・正木・亀ヶ原・小原の各村、千葉県に編入される |
1881年 明治14年 | 船形村正木貞蔵、安房共立汽船会社設立 |
1887年 明治20年 | 那古村忍足信太郎、房州うちわを創始する |
1889年 明治22年 | 船形村・川名村、合併して船形村となる 那古村・正木村・亀ヶ原村・小原村、合併して凪原{なぎはら}村となる |
1893年 明治26年 | 凪原村、町制を施行して那古町と改称 |
1897年 明治30年 | 船形村、町制を施行 |
1910年 明治43年 | 渋沢栄一、東京市養育院安房分院(現船形学園)を開設する |
1915年 大正4年 | 那古に電灯つく |
1918年 大正7年 | 国鉄北条線(現内房線)那古船形駅開業 |
1939年 昭和14年 | 那古町・船形町、館山市と合併する |