馬琴の周辺とその後の八犬伝

 馬琴は48歳の年に「南総里見八犬伝」を書きはじめ、完成した時には75歳になっていました。そのうえ八犬伝執筆の末期には盲目となってしまい、早逝した一子宗伯の未亡人路(みち)に代筆させる状態でした。

 人づきあいが悪く、家庭的にも不幸が続く中での苦闘の著述である「八犬伝」は、その死後も最長編の伝奇小説として読みつがれ、現代なお愛読者が絶えません。

八犬伝の企画は、初輯の出る6年も前、文化5年から馬琴の著作の中でさかんに予告されました。また一時期は、「七犬士」の予告が出たこともあります。『鳥籠山鸚鵡助剣』・林美一氏蔵

八犬伝9輯巻46の草稿です。右が盲目の馬琴の文字。左は、天保12年つまり八犬伝完成の前年から代筆をはじめたお路の文字です。早稲田大学図書館蔵

八犬伝版本 館蔵

昭和57年8月30日から朝日新聞の夕刊小説として作家山田風太郎の「八犬伝」が359回にわたって連載され人気を博しました。
押絵は流麗な刀勢で世界に知られる、切絵画家宮田雅之画伯によるものです。
上・切絵 顔見世八犬士 宮田雅之画伯作 館蔵
中・「八犬伝」原稿 山田風太郎氏 寄贈
下・朝日新聞夕刊