民間薬をつくるだけでなく、医師としての治療術を学ぶ人がいた家には医学書が数多く残されている。江戸で手に入れる版本はもとより、書き写しながら学ぶための写本も多い。修行先などで手に入れたと思われる古写本もある。布沼村(館山市)の菊井太治郎は父(織衛)・兄(右膳)とも医師という環境のなかで医学の勉強も早くにはじめたようで、15歳のときに書き留めたさまざまな薬方や眼病治療法が残されている。
57~59.医学書の抜書写本(寛政6年)
菊井義朝氏蔵
60.医書領収証
菊井義朝氏蔵
61.『外療新明集』写本(元和8年)
菊井義朝氏蔵
62.医書書上帳
菊井義朝氏蔵
砂糖製作伝法書は、幕府の命により甘藷からの砂糖製造を諸国に広めていた木村又助が、房州相浜(館山市)感満寺で製造のデモンストレーションをしたときに、18歳の菊井太治郎がこれを手伝い書き留めたものである。