大川面村(鴨川市)の修験正寿院石田家の静江は、嘉永5年(1852)に長崎の蘭方医吉雄圭斎から外科治療と薬剤製煉を学び、信龍と号した。石田家は里見家家臣の家柄で、江戸中期から修験となった。静江(1891年没)と子息鉄丸が医師となっている。長崎まで行って西洋医学を学んだという人の話は多く伝わっているが、西洋医学に触れてきただけという人も多かったようだ。この免許は施薬院流の外科術を学んだことの証となった。
116.施薬院流外科免許(嘉永5年)
石田靖氏蔵
大川面村(鴨川市)の修験正寿院石田家の静江は、嘉永5年(1852)に長崎の蘭方医吉雄圭斎から外科治療と薬剤製煉を学び、信龍と号した。石田家は里見家家臣の家柄で、江戸中期から修験となった。静江(1891年没)と子息鉄丸が医師となっている。長崎まで行って西洋医学を学んだという人の話は多く伝わっているが、西洋医学に触れてきただけという人も多かったようだ。この免許は施薬院流の外科術を学んだことの証となった。
116.施薬院流外科免許(嘉永5年)
石田靖氏蔵