平久里の加藤淳造は民権運動に身を投じ、自由党に入党して明治25年に衆議院議員に当選している。安房の自由党系組織である安房同志会には長須賀の医師上野隆卿も参加していた。この手紙は、新聞の不敬記事についての演説会開催を提案したもの。淳造の記念碑には「医術で万人苦悩の病原を治し、政道で自由民権の伸長を図ろうとした」人だとある。
平久里の加藤淳造は民権運動に身を投じ、自由党に入党して明治25年に衆議院議員に当選している。安房の自由党系組織である安房同志会には長須賀の医師上野隆卿も参加していた。この手紙は、新聞の不敬記事についての演説会開催を提案したもの。淳造の記念碑には「医術で万人苦悩の病原を治し、政道で自由民権の伸長を図ろうとした」人だとある。