山本村の旧家高木家から医家として分かれた春亮(1814没、50歳)にはじまり、元生-周岱-淡斎(1897没、60歳)の4代続いた。周岱(1876没)は儒医として社会情勢に強い関心をもった人で、海防を論じ、明治初期の治安維持部隊房陽神風隊の結成にも関わっている。文久1年(1861)には儒者藤森弘庵が滞在している。子息淡斎が弘庵の門人であったという。
金乗院(館山市山本)の高木氏族譜碑 (安政3年)
山本村の旧家高木家から医家として分かれた春亮(1814没、50歳)にはじまり、元生-周岱-淡斎(1897没、60歳)の4代続いた。周岱(1876没)は儒医として社会情勢に強い関心をもった人で、海防を論じ、明治初期の治安維持部隊房陽神風隊の結成にも関わっている。文久1年(1861)には儒者藤森弘庵が滞在している。子息淡斎が弘庵の門人であったという。
金乗院(館山市山本)の高木氏族譜碑 (安政3年)