西洋医学は江戸時代の前期から外科術を中心に学ぶものがあったが、後期になると杉田玄白等の『解体新書』にはじまる西洋医学書の和訳が進み、解剖学から学ぶ新医術が急速に広がっていった。下の解剖銅版図を含めて、本郷村(鋸南町)の医師渋谷玄龍家(葆真斎薬室)の蔵書だったなかには、『医学纂要』(坪井信良訳)や『居家備要』(高野長英訳)などのイギリスやドイツの医学書や化学書の和訳写本が残されている。西洋医学への強い関心の表れである。
64.『医範提綱内象銅版図』(文化5年)
当館蔵
65.『医学纂要痘瘡編』(弘化4年)写本
当館蔵