正木村ではそのほかにも、里見氏の時代の産科医戸倉玄安を先祖とする登倉家が代々の医家であったとされる。腫れ物に効くという鉱泉がある正木の横山薬師跡には、天保6年(1835)に寄進された石造の十二神将があり、登倉玄雄の名が見える。その子與誠-源吾-達雄と医師が続いた。また正木の峯之院薬師の修験白幡家からも、頼明(1875没)が漢方医となり、丹生村のイシャドン加藤家から来た修斎が跡を継ぎ、保(1948没)へと続いた。
旧横山薬師(館山市正木)の十二神将像
正木村ではそのほかにも、里見氏の時代の産科医戸倉玄安を先祖とする登倉家が代々の医家であったとされる。腫れ物に効くという鉱泉がある正木の横山薬師跡には、天保6年(1835)に寄進された石造の十二神将があり、登倉玄雄の名が見える。その子與誠-源吾-達雄と医師が続いた。また正木の峯之院薬師の修験白幡家からも、頼明(1875没)が漢方医となり、丹生村のイシャドン加藤家から来た修斎が跡を継ぎ、保(1948没)へと続いた。
旧横山薬師(館山市正木)の十二神将像