銀座資生堂の創始者は福原有信といい、松岡村(館山市竜岡)の名主の家から出ている。里見家家臣の家柄と伝えられ、父は漢学者であったが、祖父有斎(1864没)は漢方医であり薬学に通じていたという。有信は幕府医学所で西洋薬学を学び、明治になって海軍病院の薬局長となったが、辞して明治5年(1872)に洋風調剤薬局として資生堂を開業した(1924没)。兄陵斎は奈良奉行山岡氏の侍医になった。ともに医学所の織田研斎に学んでいる。
資生堂の薬品広告は、左が林紀、右は軍医総監の松本良順、中央は順天堂病院の創設者佐藤尚中。ともに有信のもと上司であり、資生堂開業の支援者であった。薬広告の推薦文は良順が書いている。
132.資生堂薬品広告(明治11年)
当館蔵
福原有信奉納の松岡八幡神社(館山市竜岡)鳥居(明治44年)