岡南洋は御庄村(南房総市)の岡田丈右衛門家の人で、嘉永年間に江戸で杉田玄白の医系を継いだ玄端に西洋医学を学んだ。嘉永6年(1853)に岡南洋と改名し、安政4年(1857)には御庄村で開業しているが、のち伊戸村へ移転した。写真の書状は、玄端が南洋から依頼された種痘用の痘苗を探す様子を伝えている。明治28年没、67歳。医業は一代限りだったが、イシャドンの屋号が残る。
138.二十四脈(元和7年)
菊井義朝氏蔵
岡南洋は御庄村(南房総市)の岡田丈右衛門家の人で、嘉永年間に江戸で杉田玄白の医系を継いだ玄端に西洋医学を学んだ。嘉永6年(1853)に岡南洋と改名し、安政4年(1857)には御庄村で開業しているが、のち伊戸村へ移転した。写真の書状は、玄端が南洋から依頼された種痘用の痘苗を探す様子を伝えている。明治28年没、67歳。医業は一代限りだったが、イシャドンの屋号が残る。
138.二十四脈(元和7年)
菊井義朝氏蔵