昭和63年に調査された下ノ坊遺跡は、保田川の河口から約1kmの沖積地に位置し、弥生時代から中世にかけての遺構群が確認された。
遺跡の北側には、塀が7基、掘立柱建物6棟、井戸3基などの遺構群があり、中央南部の堀からも、多数の中世の遺物が確認された。出土遺物は、舶載陶磁器、国産陶器、木製容器、漆器などである。鎌倉時代後半(13世紀後半)~室町時代(15世紀前半)まで、継続的に生活が営まれていたと確認できることから、中世豪族の「居館」跡と考えられ、また、この館が100m(方一町)の塀で囲まれていたという想定もされている。
この館の住人は、この地域の有力豪族であった安西氏か、笹生氏が考えられるが、特定はできない。そして、この館が廃絶した15世紀前半以降、戦国大名里見氏が台頭してくるのである。
下ノ坊遺跡航空写真
財団法人千葉県教育振興財団提供
掛金具(鋸南町下ノ坊遺跡)
刀子(鋸南町下ノ坊遺跡)
土師質土器(鋸南町下ノ坊遺跡)
硯(鋸南町下ノ坊遺跡)
瀬戸おろし皿(鋸南町下ノ坊遺跡)
以上:財団法人千葉県教育振興財団提供