鋸南町田子台遺跡

 鋸南町は、平地が極めて狭く、鋸山や津辺野山など千葉県では高峰といえる山が海岸に迫っているという地形環境にある。

 津辺野山の西方にテーブル状の低い丘陵がひろがり、この上にあがると、広々とした畑の中に草ぶきの屋根がみえる。これは、昭和27年(1952)に、早稲田大学によって発掘された竪穴住居跡の上に建てられた復元住居である。

 発掘調査により弥生時代後期の住居跡2軒が発見された。この2つの住居跡の平面形は楕円形で、1号住居跡は直径4.2m×短径3.6mと普通の大きさだが、2号住居跡は9.6m×7.5mと非常に大きいものである。大きい2号住居跡は焼失したもので、床の上に焼け落ちた柱などが炭となって残っていたため、その出土状態や柱穴の位置から屋根の構造を推定し、遺跡近くの林から材料を集めて住居が復元された。

 床面からは、後期の久ヶ原式を主体とした多くの土器のほか、当時としては大変貴重なガラス玉が117個も出土した。ガラス玉は、紐で結び通して垂飾品として使われたものと考えられる。垂飾品などの装身具は、死者が生前、身に付けたものを副葬したものの出土例は多いが、住居跡からの確認は、大変珍しいものである。貴重なガラス玉さえも持ち出す間がないほど、あわただしく逃げ出したことがよくわかる。(残念ながらこのガラス玉の所在は確認できなかった。)

 この時期に貴重なガラス玉をもっていたこと、そして住居が大きいことは、ここに住んでいた人の勢力の大きさを物語り、人々の間に階層分化が生じはじめたことを示している。

ほりだされた住居の跡(鋸南町田子台遺跡)

ほりだされた住居の跡(鋸南町田子台遺跡)

田子台遺跡第2号住居跡実測図
田子台遺跡第2号住居跡実測図(『安房勝山田子台遺跡』より転載)
弥生土器壺(鋸南町田子台遺跡)

弥生土器壺(鋸南町田子台遺跡) 弥生時代

弥生土器壺(千倉町健田遺跡)

弥生土器壺(千倉町健田遺跡) 弥生時代