この合口壺棺内に、人骨はみられなかったが、各地の類例から棺として埋められたものと考えられる。再葬墓に使われる土器は、頚の細い壺が通例で、人間をそのまま納めることができない。遺体をいったん土葬し、土中で白骨化した後に骨を掘り出し、土器にいれてあらためて埋葬したと考えられる。弥生寺時代の再葬墓は縄文時代のものとは違い、一基の墓から複数の土器棺が確認されるのが一般的なことから、「家族墓」を強く意識したものと考えられ、ここからも、農耕による定住性の向上によってもたらされた家族の自立化が読み取れるのである。