昭和42年、ホテルの建設工事中に偶然人骨や大刀などが発見されたため、その存在が知れたが、調査をまたずして消滅したため、古墳の規模や形状などは、いっさい明らかではない。
出土遺物のうち、環頭大刀把頭は、環のなかに鳳凰(ほうおう)を表現した金銅製のもので、このような大刀を所持した人物は、中央政権に服属した有力地方豪族であったと考えられる。
このことから、6世紀後半代において房総半島最南端のこの地が、全国制覇をめざしていた中央政権にとって、軍事・政治的に重要であったということがわかる。
![環頭大刀・圭頭大刀とその復元模型(館山市坂井翁作古墳) 古墳時代](http://history.hanaumikaidou.com/wp-content/uploads/2020/02/0007-030-02-01.jpg)
当館蔵
![翁作古墳周辺の旧状(明治16年測量)](http://history.hanaumikaidou.com/wp-content/uploads/2020/02/0007-030-02-02.jpg)
昭和42年、ホテルの建設工事中に偶然人骨や大刀などが発見されたため、その存在が知れたが、調査をまたずして消滅したため、古墳の規模や形状などは、いっさい明らかではない。
出土遺物のうち、環頭大刀把頭は、環のなかに鳳凰(ほうおう)を表現した金銅製のもので、このような大刀を所持した人物は、中央政権に服属した有力地方豪族であったと考えられる。
このことから、6世紀後半代において房総半島最南端のこの地が、全国制覇をめざしていた中央政権にとって、軍事・政治的に重要であったということがわかる。