この2つの壺は、現在東京国立博物館の所蔵になっており、館山市城山下より明治時代に出土したものとされいるが、出土状況などの詳細についてはわかっていない。ところで、『姥神発掘諸事控』という文書のなかに、明治34年(1901)5月、「古墓碑」(五輪塔か)が10基と「瓶」が7個出土したという記載がある。遺物が出土した地点は、丘陵斜面の横穴が埋没して奇妙な形をしていたため「姥神様」とよばれて祀(まつ)られ、当時多数の人々がお参りしていたというところで、現在そこは、通称「八遺臣の墓」とよばれている。おそらく中世武士階級の墓である「やぐら」が、崩れたものと考えられる。出土した「瓶」は当時の法律第87号13条により、国に買い上げられたとされているため、この2つの壺が「姥神様」から出土したものである可能性は高い。中国の白磁、特に宋代のものは、わが国では11世紀末からみられ、四耳壺(しじこ)などの高級器も地方に運ばれた。最初は座敷飾や社寺の装厳具として用いられたようだが、持ち主の死などで蔵骨器に転じて、完形のまま出土する例が多くみられる。
白磁四耳壺(館山市城山下)
東京国立博物館蔵 Image:TNM Image Archives Source:http://TnmArchives.jp/
宋・元代
白磁四耳壺(館山市城山下)
東京国立博物館蔵 Image:TNM Image Archives Source:http://TnmArchives.jp/
宋・元代
『姥神発掘諸事控』
明治時代
個人蔵