石棒は、石を棒状に加工したもので、なかには先端にふくらみをもつものがあり、それが男性性器の陰茎に似ていることから、古くから人びとの関心を集め、遺跡から偶然ほりだされたものが、神社の境内に立てられ、信仰の対象になっている例がある。
縄文時代中期以降には東日本を中心に分布がみられ、なかには2mをこえる巨大なものもある。
住居跡から出土する例が多く、中部地方では、炉の周辺に立てられたものが、たくさんみられる。炉で燃える火とともに、なんらかの「いのり」がおこなわれていたのかもしれない。また、住居跡の床面から、壊された状態で出土する例も多いことから、土偶と同じように、壊すことに何か意味があったとも考えられる。
石棒は、その形状から、男性の能力にかかわる「信仰」の対象物としてつくられたと思われる。男性は、狩猟や漁撈といった生産活動を担っていたため、男性のシンボルである石棒に、自然からの豊かなめぐみを願って「いのり」をささげていたのかもしれない。
石棒(富浦町深名瀬畠遺跡) 縄文時代
富浦町教育委員会蔵