沼の大寺の名で親しまれる総持院裏山の中腹、標高約25mの位置に、高さ3m、幅6m、奥行き25mの海蝕洞穴がある。古墳時代には、墓として利用され、昭和31年の発掘調査の結果、須恵器高坏・壺・坩・平瓶・坏、土師器高坏・坏・壺、直刀、短甲片、管玉、人骨2体が出土した。
海蝕洞穴を古墳時代に墓として利用した例はほかに、館山市鉈切洞穴や出野尾洞穴、鋸南町大黒山洞穴などがある。
須恵器高坏・蓋(館山市大寺山洞窟遺跡) 古墳時代
総持院蔵
沼の大寺の名で親しまれる総持院裏山の中腹、標高約25mの位置に、高さ3m、幅6m、奥行き25mの海蝕洞穴がある。古墳時代には、墓として利用され、昭和31年の発掘調査の結果、須恵器高坏・壺・坩・平瓶・坏、土師器高坏・坏・壺、直刀、短甲片、管玉、人骨2体が出土した。
海蝕洞穴を古墳時代に墓として利用した例はほかに、館山市鉈切洞穴や出野尾洞穴、鋸南町大黒山洞穴などがある。
須恵器高坏・蓋(館山市大寺山洞窟遺跡) 古墳時代
総持院蔵