1.古代祭祀の時空

 のちに神道と呼ばれることになる、日本固有の信迎が芽吹きはじめたのは4世紀の頃。人びとは、山とか森といった自然物を対象として、神まつりを行っていました。そして、その場所が聖なる空間であることを示すために、巨木や巨石などを「神のよりしろ」と考えます。

 日本の神は、本来目にみえない存在であり、特定の場所に結びつくという傾向があります。例えば「安房に坐(ましま)す神」というふうに、神を固有名詞で呼称するのではなく、特定の場所に潜(ひそ)んでいる、つまり「坐す」ことが重要視されています。神はその特定の場所で威力を発するので、そこが聖域となって、儀礼が生まれてきたのではないでしょうか。そこで問題となるのが、何時、どうして行われたのかということです。

 しかし、何時という単純な疑問に解答を用意することは、難しいことです。まつりは年中行事(ねんちゅうぎょうじ)のなかで、はっきりとした時間意識のうえに行われ、1年の折り目には神の来訪があったはずです。しかし、いつからいつを1年としたのか、時間認識の基準となったのは稲の一生なのか、畑作なのか。説得力のある仮説は未だありません。目的については、古代祭祀(さいし)遺跡の景観(けいかん)や出土遺物から解答を用意でき、それらから、まつりが豊作の祈りや魔除け、火山の噴火など自然を鎮めるために行われたことがわかります。

 ここでは館山市内に伝わる神事(しんじ)をモデルに、古代祭祀をイメージしましょう。