古墳時代の中頃である5世紀代になると、新しい生活文化が波及していきます。それは鉄製農耕具の発達による生産力の向上や、カマドの出現による食文化の変化などですが、ムラの神まつりで、滑石(かっせき)製の模造品が使用されはじめることも大きな特徴のひとつです。それ以前は、本物の用具をまつりで使っていました。鏡も剣も勾玉も、何もかも実際に使える実用品でした。それは古い古墳や、福岡県沖ノ島の祭祀(さいし)遺跡をみるとはっきりわかります。しかし神まつりが、だんだんと一定のやり方で行われるようになると、使う用具が形だけのものになってしまうのです。こうして手軽に入手でき、しかも加工がしやすい材料を使った、滑石製模造品がまつりの道具として使われるようになります。この祭祀用具が、比較的短期間のうちに広範囲に伝播したことや、遺跡の立地や用具の構成から、普遍的な神まつりが行われていたと考えられています。
ただし注意しなければいけないことは、祭祀用具の出土地点が必ずしも、神まつりの場とは限らないことです。山頂から出土しても山の神を祀ったとは言い切れません。まだ、当時の人びとの精神生活の、ほんの一端を解きほぐすのが精一杯というのが実状です。