『古語拾遺(こごしゅうい)』(コラム(1)参照)には、安房に忌部(いんべ)氏が集団移住し、祖神(そしん)を祀(まつ)ったのが安房神社であると記されています。あくまでも伝承ですが、中央の忌部氏が朝廷の祭祀(さいし)に携わっていたことと、平安時代の『延喜式(えんぎしき)』に書かれた安房の式内社6座(一覧参照)のうち、5座の祭神(さいじん)が忌部氏に関係するという事実には注目できます。時代はさかのぼりますが、さらに8世紀のはじめには朝廷が安房郡を神郡(しんぐん)としている歴史的事実があります。さきに述べた安房が上総から独立したことは、このことが大きな契機になったと考えられ、また『延喜式』に安房国筆頭の大社として記される安房坐(あわにます)神社が大きな存在であったことは確かです。この神話の伝承と歴史的な事実から、安房神社を中心とする祭祀集団の形成に、忌部氏が大きな役割を果たしたと考えることができないでしょうか。
18.『延喜式』 巻九(神名上)
国立公文書館蔵
18.『延喜式』 巻十八(式部十八)
国立公文書館蔵
19.□土師器高杯
館山市安房神社蔵
安房神社境内から出土。5世紀初めの神まつりで使われたものと考えられる。