4.独特な宗教文化の形成~安房の古代祭祀遺跡を考える

 関東の古代祭祀を概観(がいかん)して、5世紀から6世紀にかけて石製模造品が広く一般的に使われていたことがわかりました。しかし今のところこの時期、安房でそれを用いた神まつりを確認することができません。そもそもこの地域では発掘調査がほとんど行われていないため、古代を解明するには制約が多いのですが、それにしても、4世紀末に石製模造品を用いていた安房で、なぜ普及しなかったのでしょうか。

 そして6世紀代になると、土製模造品を用いた神まつりが盛んに行われるようになります。安房の土製模造品の典型的なセットは、勾玉(まがたま)形・丸玉形・鏡形・有孔円板(ゆうこうえんばん)に手捏(てづくね)土器が加わったもので、遺跡のなかには後世の神社に近いところにあるものもあります。さらに特徴のあるものとして、鐸(たく)や鈴鏡(れいきょう)・鈴釧(すずくしろ)など音に関係するものがあります。安房の祭祀遺跡と土製模造品の種類の数や量がほぼ似ているのは、関東では埼玉県大里郡岡部町の狢山(むじなやま)遺跡くらいで、この地域の神まつりは独自の形態であるものとして注目されています。

 ところで古代に限らず、半島の突端にあるという地理的要因が、安房の歴史に大きな影響を与えていました。原始から近世に至るまで、海を越えての接触が要素となり歴史が展開していきます。さらに房総でもっとも高い鋸(のこぎり)山、清澄(きよすみ)山丘陵により、上総と分断されたことで独特な文化圏が形成されていました。このことは奈良時代の養老(ようろう)2年(718)に、上総国から平群(へぐり)・安房・朝夷(あさい)・長狭(ながさ)の4群を割(さ)いて安房国がつくられたことからも窺(うかが)うことができます。小さいながらも、安房は一国を形成していました。

 ここで一つの仮説を立ててみます。独自の形態である神まつりをヒントに、古代の安房に一種独特な宗教文化が形成されていたと考えることができないでしょうか。成立するかどうかは、先にも述べたように資料が少ないので今後の課題なのですが、今わかっている考古学的、歴史学的な事実から検討していきましょう。

17.『古語拾遺』〔部分〕(複製)
17.『古語拾遺』〔部分〕(複製)