集落の発展と拡大には、新たな農地開発が必要でした。それを可能にしたのが、強力な組織力と鉄製農工具だといわれていますが、我孫子(あびこ)市日秀西(ひびりにし)遺跡からは、6世紀後半を中心に、6世紀前半から7世紀後半の竪穴(たてあな)住居跡が180軒みつかり、住居内から大量の鉄製農工具が出土しています。また、鋤(すき)先形やパン形などの土製模造品が出土していることも特徴で、鋤先模造品はカマドの近くに置かれていました。カマドのまつりについては、各地から出土の倒立(とうりつ)して燃焼(ねんしょう)部に置かれた高坏(たかつき)から見当できます。これらは明らかに火を落としてから置かれていますので、カマドの神を封じ込めるようなまつり、あるいは火の神への畏敬(いけい)の念をあらわすまつりでも行われたのでしょうか。いずれにしても、カマドが農耕祭祀の場であったことは窺(うかが)うことができます。
12.我孫子市日秀西遺跡出土遺物
土製模造品(鋤先形)
12.我孫子市日秀西遺跡出土遺物
土製模造品(勾玉形)
12.我孫子市日秀西遺跡出土遺物
土製模造品(不明品〔パン形〕)
以上:房総のむら保管