安房には高塚(たかつか)古墳が非常に少ない一方で、大型の円墳(えんぷん)や前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)への被葬者(ひそうしゃ)に匹敵(ひってき)する有力者が、海の浸食(しんしょく)作用でつくられた海蝕洞穴(かいしょくどうけつ)を墓として使っていました。また小滝涼源寺(おたきりょうげんじ)遺跡からもわかるように、海上交通を基盤(きばん)にして活動した人々の足跡があります。
これらのことは伊豆半島の南部にも共通し、海洋術にたけた海人(あま)には、海に向かって口を開いた海蝕洞穴を、黄泉(よみ)の国とする考えがあったことが窺(うかが)えます。