館山市沼・大寺山洞穴

 古東海道の海の道は伊豆半島を回り、東に伊豆諸島を見ながら浦賀水道を通り、上総にいたるルートが想定されます。大寺山(おおてらやま)洞穴は東京湾の玄関口にあり、大地震のたびに隆起しているため、現在は標高20mほどのところですが、古墳時代には波打ち際近くにあったと考えられます。ここから舟形木棺(ふながたもっかん)・人骨とともに三角板皮綴(かわとじ)式と横矧板錨留(よこはぎいたびょうどめ)式の短甲(たんこう)と、剣・鉄鏃(てつぞく)などの武器などがみつかり、土器から5世紀前半・後半、6世紀前半の3時期に埋葬が行われたと考えられています。県内で2領の短甲を出土しているのは君津市八重原(やえはら)古墳だけで、また舟形木棺から海洋民族の舟葬が想定されていることなどから、ここは海の道を支配した安房の海人の墓であると考えられます。

20.□館山市大寺山洞穴出土遺物

20.□館山市大寺山洞穴出土遺物
鉄鏃

20.□館山市大寺山洞穴出土遺物

20.□館山市大寺山洞穴出土遺物
横矧板鋲留短甲片

20.□館山市大寺山洞穴出土遺物

20.□館山市大寺山洞穴出土遺物
土師器・須恵器

(以上、館山市沼・総持院蔵)