谷遺跡-館山市東長田-

 日本で最も古くから知られた祭祀(さいし)遺跡で、明治33年(1900)に大野延太郎が報告を行っていますが、当時はほとんど関心が傾けられませんでした。
 この遺跡は汐入(しおいり)川の上流の河岸段丘の一番高いところにあり、背後の丘陵の麓(ふもと)近くから遺物がみつかっています。丘陵の頂上部から遺物が棄(す)てられ、二次的に堆積(たいせき)したものだという指摘もありますが、むしろ麓で行われた神まつりだと考えた方が自然でしょう。
 須恵器(すえき)や土師器(はじき)、手捏(てづくね)土器、高坏(たかつき)形・椀(わん)形とともに、勾玉(まがたま)形、丸玉形や有孔円板(ゆうこうえんばん)などの一般的な土製模造品のほか、人字形がみつかっています。6世紀代から7世紀にかけてまつりが行われたことが土器からわかりますが、少量ながらも須恵器をつかっていることと、高坏形の手捏土器が用いられていることは、この遺跡の大きな特徴になっています。

28.館山市東長田・谷遺跡出土遺物

28.館山市東長田・谷遺跡出土遺物
手捏土器・土師器・須恵器

28.館山市東長田・谷遺跡出土遺物

28.館山市東長田・谷遺跡出土遺物
土製模造品

(以上、個人蔵)